2019年7月13日(土)
昨日は日本陽明学研究の第1人者である、
林田 明大 (Akio Hayashida) さんの講演会に行きました。
僕はとても陽明学に興味がありました。
高校生の頃に読んだ、司馬遼太郎の小説。
「峠」
この中に描かれている、主人公「河井継之助」が陽明学を学んでいて
その生き方がとてもカッコよくて、
継之助が学んだ「陽明学」にとても興味がありました。
実際に「陽明学」を学びたくて
高校生のときに王陽明の本「伝習録」を買って読みましたが
あまり頭に入りませんでした。
当時の僕には難しく、あまり意味が分かりませんでした。
今回、たまたまお知り合いになった
佐々木 あきらさんが
日本陽明学を学んでいて、日本陽明学研究の第1人者である林田明大さんを呼んで、名古屋で講演会をすると聞いて、伺うことに決めました。
大事と小事を分けない。
小事をおろそかにすることでダメになる。
損か得かで判断しない。
線引きしない。
致良知=誠を尽くす。
二元論で語らない。
与えられた仕事を誠実にこなす。
逆境を乗り越えることで、ココロを鍛える。
だから、苦しいときはありがたいこと。
自分が鍛えられる。
普段から小さいこともきちんと行う。
おろそかにせず、正しく行う。
日常生活の中で私欲を振り払い、毎日、コツコツと小さな善行。
小さな親切を行うことで
「心が磨かれる。」
小さいことのほうが大切。
心にやましさがなくなる。
心にやましさがなくなれば
自信を持つことができる。
「日々、雑なこと。いい加減なことをしている人は、
日々、雑な人間、いい加減な人間になるための修行をしているのと同じです。」
という林田明大さんの言葉が身にしみました。
ものごとの優先順位をいつも私はつけることができないと悩んでいました。
でもそうではない。
優先順位はつけない。
小さいことも大切。
すべての自分の行いを大切にする。
それが日常生活の中でココロを磨く。ということ。
優先順位を考えることで
ものごとに序列をつけてしまう。
損か得かも考えてしまう。
ものごとに関してそうであれば
人に対しても優先順位を考えてしまう。
人に対して優先順位をつけたり
つけられたりしたら
イヤだ。
そんな人はイヤだ。
でも、ものごとに優先順位をつけるとしたら
実際そのように習慣づけていたら
すべてのことに対してそうなってしまう。
それは時間だけではない。
日々の生活。行い。習慣を見直そう。
普段の行い。習慣こそ大切。
習慣。
普段の行い。
思考。
小さなことを大切にしよう。
日本人には
このような陽明学の考え方があっているように思います。
日本人にとって「道具」はただの「道具」ではない。
武士の刀
料理人の包丁。
大工のカンナ。
道具を大切にし、そこには「魂」が宿る。
陽明学の祖は中国の明の時代。儒学者・王陽明。(1472~1528年)
王陽明の言葉で
「人と生まれてなによりの大病は、傲(ごう)の一字に尽きる。」
日本では中江藤樹、江戸初期の儒者・近江の人(1608~1648年)
近江聖人と称された。王陽明の著書に接し、日本陽明学の祖。
中江藤樹の弟子に熊沢蕃山、淵岡山(ふちこうざん)がいます。
ドイツには「ゲーテ」がいます。
小説家であり科学者で
林田先生曰く、ゲーテはドイツの誇りで、現代でもドイツ人の心のよりどころとして大きな影響を与えている。
日本には「中江藤樹」がいる。
今は日本ではあまり知られていない中江藤樹。
日本人も中江藤樹を学べば、心のよりどころとして、とても良い。とのこと。
僕も中江藤樹を学ぼうと思いました。
幕末、明治維新の時代。
明治末~昭和初期の時代まで
日本は陽明学ブームで陽明学に関する書籍がかなり発刊され、学ばれたそうです。
第二次世界大戦後は、日本であまり学ばれることがなくなっていった
陽明学。
1970年の三島由紀夫が自決した事件のあとでは
ますます学ばれることが少なくなりました。
陽明学の本質は
致良知。
誠を尽くす。
こと。
自分自身を内観し、日々、日常生活を営み、その中で、ココロを磨くこと。
自分の行動を変えていくことで周りとの関係も良くなる。
道徳の授業も大切だが、先生の普段の行動、あり方が大切。
日々の行動・言動。
小さなことを大切に積み重ねる。
日常の一つ一つの行動と言動に気を配ろう。
そう思いました。
林田明大先生の講演会に行くことができて
とても勉強になりました。
林田先生は、渋沢栄一と陽明学に関する著作を今書かれているそうで
楽しみです。
素敵な機会をいただけたご縁にとても感謝しています。
林田明大先生の本
新装版・真説「陽明学」入門 (ワニプラス)
新装版・真説「陽明学」入門 (ワニプラス)
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