無私の日本人。映画。「殿、利息でござる。」を見ました。人のために生きる。人としての美しさを感じました。

江戸時代。貧しい宿場町の人たちが、お金を集めて、殿様にお金を貸し、利息をいただくということがありました。実話です。仙台藩であった話だそうです。お金がなくて、百姓・町人に重税を課し、破産と夜逃げが相次いだ仙台藩。
そんなに藩にお金がないのなら、藩にお金を貸して、利息をいただくことができるのではないか?という逆転の発想を一人の町人が思いつく。

この逆転の発想に宿場町の人々に賛同者が相次ぐ。みんな町の将来を危惧していたのだ。思いついた張本人が大丈夫かな?と思うほど、みんな協力してくれる。
いろいろありながら、大金を集め、藩にお金を貸し付けて利息をいただくことに成功するのだ。

ここに考えが正しく、理屈に合っていて、協力者がでてくれば、事をなすことができるという。一つのつながりが見えてくる。

今も昔もない。我がことはみな大事だ。自分のことで精いっぱい。でもチカラを合わせて、事に当たれば、一人では、成しえなかった大きなことを成す。ことができる。

そのためには人のためになる。ことが大切だ。まわりのみんなが喜び、豊かになる発想。それが今までにないことであっても、当たり前に考えて、それが正しく、理屈に合っていれば、事は成すことができるのだ。

一人では成すことができない。一人ずつ協力者が増える。思いを持っている人が集まれば、進んでいく。

良い話であった。

殿。利息でござる。

これは2年前に上映された映画です。
無私の日本人という原作があります。
本日。この本をアマゾンで注文したので届いたら読んでみます。
人のために生きるからこそ美しいのだ。
我がことだけで生きるなんてつまらない。

日本陽明学というものがあることを本日知りました。
僕は幕末の歴史が好きです。
その中で河井継之助という人物が好きです。
彼は最後、破れるのだけれど、
陽明学を学んでいて、知ることは行動とつながるべきである。
学びは行動とつながる。
生まれた長岡のために生きるが、うまくはいかない。結局は長岡は彼のために焼け野原となるが、彼が考えて描いて実現しようとしていた長岡の姿は美しい。

人は何のために生きるか?といえば
人のために。
それが家族であり、周りの人。
関わった人。である。
周りの人が幸せであればよかったなあ~と思うし、嬉しい。

そう思える。そうありたい。
それが自分が存在している。
意味だと思う。

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