名古屋駅西口から徒歩15分。中村遊郭のあった大門を歩く。かつて栄えていた大門の姿に思いを馳せる。

先日、朝活ネットワーク名古屋を開催した後、一人でトコトコと名古屋駅西口から歩いて、15分の「中村遊郭」があったという「大門」に行きました。

名駅西口から歩きます。
一直線に歩くと大門に着きます。
西口の銀座商店街を抜けてそのまま歩いきます。

今も大門にはソープランドがあります。
名古屋でソープランドがあるのはここだけではないでしょうか?
驚くのは大きなスーパー「ピアゴ」が大門にあるのですが
その入り口の前にソープランドがあることです。
スーパーの目の前にソープランドがある。
このとてもシュールな光景。
全国的にも珍しい光景ではないでしょうか? 
遊郭のど真ん中の場所にあとからピアゴができたのだから
これは仕方がないですよね。

でもソープランドもこれから生き残りは厳しいだろうなあ~


現在はソバ屋です。

ピアゴ中村店がかつて中村遊郭という栄えた場所に現在はスゴイ存在感であります。
大門には昔の建物がポツポツ残っています。
昔は栄えていたのだろうなあ~と思います。
立派な木造家屋が残っています。

現在の大門の地図とかつての中村遊郭の地図と比べると
昔の中村遊郭のど真ん中に現在のピアゴ中村店があることがよくわかります。

昔の地図を見ると
妓楼 がたくさんあります。

かつての花街。
今はもうその影がだいぶ薄くなってきています。



ポツポツと当時を思わせる建物があります。

ピアゴの前にあるソバ屋。
これも良い雰囲気の建物です。
昔を思わせる建物で、想像が膨らみます。

大正から昭和初期にかけて栄えた中村遊廓は、吉原遊廓をしのぐほどの豪華さを誇ったといいます。





ピアゴ中村店の上の階の駐車場からは中村遊郭が見渡せます。


1937年が中村遊郭の全盛時代だったそうで
娼妓約2000人、一軒の抱え娼妓が13~30余人を数え、日本最大級の遊郭 だったそうです。当時の全国の娼妓の数は約45000人。
当時の日本の約4.5%の娼妓が中村遊郭で働いていたといいます。
この1937年の娼妓の年齢分布図まで現存しています。

1937年中村遊郭全盛時代の娼妓の年齢分布図

22歳が一番多いです。娼妓の仕事は長く続ける人が少なかったので22歳を頂点にどんどん減っていきます。

大門地区は吉原に比べて比較的、昔からの建物が良く残っているそうです。

大阪にも飛田新地という場所があり、ここは未だに活躍している建物が多くあり、現在でも昔の姿をかなり残しています。

過去の中村遊郭の繁栄ぶりを知っていると、この現在の姿が
感慨深く思えます。
ここにたくさんのお客さんが来て、たくさんの娼妓が働いていた光景を思い浮かべると、現在の姿と比べると時の流れを感じます。

大門も下町です。大阪の飛田新地も東京の吉原も下町です。
人の生活のにおいを感じます。
歴史を感じます。
大門を歩いていると昔の写真を飾っているビルもありました。
昔はかなり栄えていた大門。
今もその名残があり、面白いです。


大門の昔の写真が飾っていました。

アーケード付きのスナック・飲み屋街がありました。
夜に一度来てみたい。
でも入るのは勇気がいりそうだな~

中村歌劇

中村歌劇というエロ映画館がありました。
平日の昼間だというのに年輩のお客様が続々と訪れていて意外とはやっています。
名古屋に来て10年になりますが名古屋でエロ映画館を見たのは初めてです。

大門は生活感あふれる下町です。
でもマンションが続々と増えている印象です。
リニア開通で大きな広場ができたり
再開発がどんどん進む名古屋駅西口。
土地買収も進んでいます。
中村遊郭の名残はこれからもどんどん消えていくでしょう。
こういう遊郭の跡地の建物はもう保存されずにどんどん消えていくのでしょう。

ピアゴの上の階は駐車場になっていて
中村遊郭の名残が上から見ることによってよくわかります。

妓楼は木造二階建て、瓦屋根、坪庭があります。
上から見ると「コの字」形の建物です。
坪庭を作るのは中村遊郭の建物のトレンドだったようです。
コの字形の建物をつくるのはコストがかかるが、
このような建物を建築できたということは当時の中村遊郭の繁栄を物語っていると思います。

下町的な雰囲気と
昔の遊郭の名残を残し
スナック街やエロ映画館がまだ現存している街。
大門に今後も時々行こうと思います。

とても面白くノスタルジーあふれる街です。



遊蕩の空間―中村遊廓の数奇とモダン (INAX ALBUM 11)


この本。読んでみたいなあ~

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