尾張名古屋「のこしたいもの、つたえたいもの」。規制緩和と「まあええがや」

本日、3月11日(月)7時~
第532回朝活ネットワーク名古屋を開催しました。
【テーマ】今も昔も尾張名古屋は世界一
~名古屋の歴史を4万年前から現代までお話します!~
【進行役】深田 正雄

名古屋・栄の住吉の料亭蔦茂の一人息子として生まれ
生粋のなごや人である「住吉の正雄ちゃん」に
尾張名古屋の「のこしたいもの、つたえたいもの」。
料亭蔦茂の創業者・明治21年生まれの祖父深田良矩が
一人の内孫「まさお」に語り続けた口伝のお話も含め
長い歴史をお話いただきました。

名古屋には長い歴史があります。
白川公園のあたりには今から4万年前の遺跡があります。
栄には昔から人が住んでいました。
紫川という川が流れ
湧水にあふれ
地盤もしっかりしている。

徳川家康が今から約400年前に決断した
清州越し(きよすごし)
当時、尾張の国の中心都市・清州(現・清須)は
水害など天災に弱かった。
世界にも珍しい大規模都市移転。
6万人の街ごとの引越。

名古屋には
キレイな水
しっかりした地盤がある。

碁盤の目の街を整備。

街ごとに寺をつくる。
そこには寺子屋があり
論語を学ぶ。
徳を重じ、親孝行。
治安は良い。

規制緩和と「まあええがや」


治安は博徒が行う。
博徒はやくざ。
町人社会では警察、消防などの任務は博徒が行っていた。

名古屋は治安が良く住みやすい、循環型の社会で
川もキレイ。

武士には商売も許され
お金を稼ぎ、使う。
遊ぶ。
ばくちもする。
無税でもあった。

豊かな街・名古屋がそこにあった。

大東亜戦争終了後
アメリカの占領下から
昭和33年3月まで
白川公園のあたりに
アメリカ村があり
アメリカ軍の将校が家族ごと住んでいた。

街中にアメリカ軍の住居地があるのは珍しい。

これも
「まあええがや」文化の治安のよい名古屋だからできること。


深田さんは名古屋を盛り上げ、
栄ミナミエリアの活性化する活動をされていて
清掃活動
歩道を広げる
ビデオカメラの設置
栄ミナミ音楽祭の開催
栄ミナミ盆踊りの開催
異業種交流会・名古屋経営研究会の立ち上げ
名古屋城天守閣を木造復元し、旧町名を復活する有志の会の立ち上げ
など
名古屋・栄の活性化にも尽力されています。

結果、栄ミナミエリアは
キレイになり、カラスはいなくなり
治安もとてもよくなり
安心して人が集まる街になりました。


深田さん
住吉の語り部として
私たちの知らない名古屋の歴史のお話。
とても楽しく、学びになるお話を誠にありがとうございます。


異業種交流会・名古屋経営研究会

https://www.nagoyakeiei.jp/?fbclid=IwAR163_M6x316LH_axh2iEOy4x7RKxzZC16Et1Kbb16BN-OBUEI2RRd_i6gA

名古屋城天守閣を木造復元し、旧町名を復活する有志の会

名古屋城天守閣を木造で復元し、旧町名の復活を目指す会 北見昌朗

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