本日、2019年11月16日
毎年、朝活ネットワーク名古屋で
お話いただいている
西野 慎祐 (Nishino Shinnsuke) さんに
ご案内していただいて
5人で名古屋・覚王山近くの街歩きをしました。
末森城跡の城山八幡宮、日泰寺、揚輝荘を中心に案内していただきました。
西野さんの詳しく、面白い説明を聴きながら
3時間30分ほど休憩をはさみながら、歩きました。
約7500歩、歩きましたのでとてもよい運動になりました。
その中で僕が一番印象に残ったのは
松坂屋の創業者で伊藤次郎左衛門佑民(いとうじろざえもんすけたみ)
が造った「揚輝荘」(ようきそう)です。
とても贅沢な造りの建物でした。
細部に様々なしつらえがあります。
伊藤次郎左衛門佑民は実業家としてとても優秀な方だったようです。
江戸時代から続く「いとう呉服店」を1910年に株式会社化し
名古屋で初めてのデパートメント形式の店舗である「松坂屋」を栄に
開店しました。
名古屋経済界のリーダーとして名古屋の発展に尽力された方です。
「揚輝荘」には20年もの歳月をかけ、1万坪以上の敷地に30以上の建物が
建設されています。
その中で特に印象に残ったのは
「聴松閣」(ちょうしょうかく)です。
とても贅沢な造りでした。
細かい仕事がたくさんされています。
床や天井もとてもこっています。
「迎賓館」として建てられたので
「舞台」もありました。
床、壁・天井すべてに良い素材が使用されています。
派手はありませんが、凄さを感じます。
食堂にある暖炉には有名な寺院の古い瓦が埋め込まれています。
東寺や興福寺などの瓦が使われています。
とても贅沢です。
木鶏の飾りモノがありました。
大相撲で69連勝の記録を持っている双葉山の写真がこの木鶏の飾りモノの隣にありました。昭和13年にこの聴松閣を双葉山が訪れたときの写真です。
「我いまだ木鶏に及ばず」
双葉山の69連勝が止まったときの自身の言葉です。
昭和13年に「聴松閣」を 双葉山が訪れた写真が飾っていました。
双葉山は陽明学者の安岡正篤(やすおかまさひろ)に関取時代に出会いました。
木鶏とは木彫りの鶏。
無心であることが困難を乗り越える最強の道。
強い者、徳の高い者はいかなるときも平生で変わらない。
これを「木鶏に似たり」と言う。
と教えられ、
木鶏であることを目指して史上最強の横綱といわれるほどの人物になったそうです。
うーん。歴史の勉強になります。ありがたい。
双葉山と木鶏の話。いいなあ~
贅沢な歴史ある建物
「聴松閣」 。
たくさんのお客さんをもてなした迎賓館。
歴史を感じるありがたい時間でした。
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