2024年10月14日(月)7時~
第561回朝活ネットワーク名古屋 を開催しました。
【テーマ】講師のいない気づきの会。智慧の場(ちえのば)とは!? ~感性を磨き、生きるチカラを身につける心の筋トレ 今回は津田梅子の生き様をお伝えします~
【進行役】 大井 聖也
大井さんは
老舗料亭で生まれ、三越で働き、本場アメリカのディズニーに出向されていた
上田比呂志さんとご縁があり
智慧の場(ちえのば)という講師のいない気づきの会を主催されています。
大井さんが
歴史上の人物の生き様を伝えて
参加者が感じたことを言葉にする気づきの会です。
お互いの気持ちや状態を感じ、思考だけで判断せず、感情に寄り添う。
感性を磨き合い、生きる上で大切なことは何か?
本質をつかみ、心の眼を開いていく。
互いを思いやる純粋な心を取り戻す心の筋トレの会です。
今日は大井さんに
新五千円札の肖像にもなっている
津田梅子の生き様について語ったいただき、
3~4名のグループに分かれて
参加者の方々に気づいたことをお話していただきながら
智慧の場(ちえのば) を体験していただきました。
津田梅子は
明治政府が派遣した岩倉使節団に随行し
6歳でアメリカに渡ります。
その後、前人未到の事業を成し遂げ
事業を継続させた人物です。
文化のないところに文化を創った。
当時は女子には教育は必要ないと考えられていた時代。
女性自身も教育を受けれないということに特に不満を感じていませんでした。
特に武家の女性に関舌は学校に通う文化がありませんでした。
結婚して家庭に入ることが当たり前の時代でした。
そんな時代の中
アメリカへ留学し教育を受けた津田梅子は
華族女子校で英語教師として勤務した後
1900年に35歳で女子英学塾を立ち上げます。
アメリカでは
留学する女性のために
今の金額でいうと1億円以上のお金を集めて
奨学金制度を作ります。
学校を創設し維持するためには
多額のお金が必要です。
そのためにアメリカでスポンサー集めに奔走。
寄付を募るための手紙をたくさん書きます。
7年後、1907年には生徒数は140名に達します。
ただ、そのころから徐々に体調を崩し
一線から退いていきます。
女性の教育のための学校を作った
彼女の「志」が
「思い」が引き継がれ
立ち上げた女子英学塾は現在の
津田塾大学に発展していきます。
その思いは
引き継がれ
津田塾大学で学んだ人材が
1985年 男女雇用機会均等法を実現させる大きなチカラとなりました。
「思い」を実現させるためには
「お金」が必要。
津田梅子の凄いところは「お金」の問題から目を背けなかったところ。
一線を退いてからも
梅子の「思い」「志」を引き継いだ人材が
梅子の描いた「夢」を実現させていきました。
大井さんが主催する
智慧の場(ちえのば) 。
参加者が偉人のパワーのある生涯の物語を聞き
気づいたことを話し、聴く。
それにより理解度も深まり、いろんな人の
感じことを聴くことができる。
こんな考えもあるのか。と発見にもななりました。
大井さん。
津田梅子の生涯をわかりやすく思いを込めてお話しいただき
参加者の皆さんが意見を言いやすいように
気を使いつつ、進行してくださり、ありがとうございます。
大井さんは
智慧の場(ちえのば) をオンラインで定期的に開催されています。
またリアルでも
朝活会場のプロコワで
11月30日15時~16時30分に開催します。
定員は6名(進行役含む)
参加費1000円
懇親会もあります。
智慧の場(ちえのば)。講師のいない気づきの会。純粋な心を取り戻す心の筋トレ。
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