戦国時代。 足軽から32万石の大名に出世した藤堂高虎。 その秘密とは!?

2024年4月15日(月)7時~
第537回朝活ネットワーク名古屋を開催しました。

【テーマ】ミスター戦国時代・藤堂高虎に学ぶ先の見えない時代のサバイバル術~秀吉・家康になぜ重用され、信頼を勝ち得たのか?~
【進行役】友斉 照仁

友斉さんは歴史が好きで、単に歴史上のファクトを追うだけではなく
「そこから何を学び、仕事や私生活にどう活かせるか」という
切り口で発信されている方です。

何度も主君を変えつつも、戦国時代を生き抜き、
足軽から32万石の大名に出世した藤堂高虎。

190センチ、110キロ。

秀吉・家康になぜ重用され、信頼を勝ち得たのか?

その秘密をお話いただきました。


藤堂高虎は主君を何度も変えています。

彼はとても大柄で体力があったので
個人的な戦闘能力は非常に高い人でした。

足軽時代はその能力に優れていたので
体格の素晴らしさにあわせて
そこで頭角を現した。

さらに彼が大出世を遂げた秘密の一つに
レアなスキルを身に着けたことが挙げられます。

それは
築城
水軍指揮
朝廷との交渉力
です。


秀吉・家康に重宝される能力を持っていたことが大きい。

これは高虎が意図的に自ら動いて身に着けた能力。

家康は性格として
細かい指示はしない人物。
指示された側は自分で考える能力が必要だった。

その点において
高虎は仕事が早く
自分で考えて仕事を実行に移せる能力にたけていた。

もともとは豊臣秀吉の弟である
豊臣秀長に見いだされ、大名に出世した高虎。

1630年。
75歳まで生きたので
当時としては長寿。

関ヶ原の戦いでは
西軍の寝返り工作を担当し
それが見事に成功。

徳川家康と深い信頼関係で結ばれていたのは間違いがない。

ある部下が
藤堂高虎のもとを去る時があった。
そのときは
去る部下に対し
自ら茶をたてて、もてなし、剣を与え、
「いつでも戻りたいときには戻ってこい」
と伝えたという。

「情け」を人に対して与えることは忘れなかった。

徳川家康を天下人と確信し
家康に率先して従った。

乱世に生き
信頼に足る主君を選び
義理に厚く
意識的にレアな能力を身に着けた人物。

藤堂高虎の生き方は現代に生きる私たちにも
参考になるお話でした。

共有するグループ対話を交えながら
理解度を確認しながら
発表を進める友斉さんの進行も見事でした。

生き残るための能力。
人に信頼されるために
主君の人柄を読み
見事に仕えた。

徳川家康を天下人と見抜き
そのために早く動き
その流れを作った。

友斉さん
わかりやすい学びとなる発表をありがとうございます。

友斉さんは歴史の他に
囲碁の普及活動やマインクラフトを使った教育事業に携わっているとのこと。
そのお話にもとても興味がわきました。










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