昨日は7月8日(月)の朝活ネットワーク名古屋でお話しいただく
藤井康隆さん
西尾雅明さんと打ち合わせをしました。
藤井さんは名古屋市博物館に学芸員としてお勤めで
考古学の専門家です。
今年の4月名古屋市守山区にオープンした
しだみ古墳群ミュージアムの設立にも関わられています。
古墳は日本独自の文化です。
名古屋では
守山区の志段味に古墳が多くあります。
熱田・金山近辺にも多くあります。
古墳が作られたのは
西暦200年代~600年にかけてです。
古墳を知ることで社会体制の変化がわかると言います。
天皇制が確立されるにつれ古墳はなくなっていきます。
地方の権力をもつ豪族が盛んに作った古墳。
中国やエジプトのお墓と大きく違うのは
古墳は誰のお墓であるかははっきりわからないと言います。
それはなぜか?
個人名で葬らないから。
日本では死んだら
「神」になる。
と考えられており、
神様として祀られる。
だから「誰のお墓であるか?」
よくわからないことがほとんど。
こういう文化は日本独自のものであるとのこと。
古墳は「地域社会におけるシンボル」
であり人々の連帯意識を強める権力の象徴。
祭りや儀式を行うための場所でもあったそうです。
「古墳」がどのようなものであるか?を
詳しく知ることができます。
今年の4月には
名古屋市守山区に
しだみ古墳群ミュージアムがオープンしました。
https://www.rekishinosato.city.nagoya.jp/
名古屋市では
志段味と金山・熱田あたりに
古墳がたくさんあり、
志段味は水害が少ない場所であったので
あまり人は多く住んでいる場所ではなかったのだけど
名古屋のなかでは標高が高い場所で
そこに古墳を作ることが目立つ行為であった。
一つのシンボルとしてつくられたようです。
熱田神宮にも
断夫山古墳という大きな古墳があるとのこと。
古墳の時代は
まだまだ分かっていないことが多く
名古屋市博物館で学芸員として考古学を専門にされている
藤井さんが言うにはそこが魅力であると言われます。
わからないことが多いからこそ
魅力があり、解き明かしていくのが面白い。
![](https://ikiru.site/wp-content/uploads/2019/05/87beb151692548322e663fcb8199afaf.png)
名古屋という場所は
東と西の文化が交じり合う場所で
稲作もそうですが
名古屋でいったん
西から来た文化の遡上が止まるそうです。
東は縄文の文化がが強く、
稲作も名古屋のあたりで止まりました。
いろんなものの進行はいったん名古屋で止まる。
文化が交じり合う場所が名古屋であると言いうことは
歴史的に証明されています。
そういう名古屋話も面白かったです。
古墳は中央集権で日本が統治されるにつれなくなっていきます。
中央集権国家が600年代には日本にできます。
それまでは地方の豪族を通じて
地方を治めてきました。
でも天皇制が確立して、中央集権国家が日本にでき、直接の統治が始まると
地方の豪族はなくなり、彼らが古墳をつくってきたので
600年代を最後に古墳は作られなくなっていきます。
そんな古墳を知ることで
また一つ知らないことを知り、学ぶことができます。
![](https://ikiru.site/wp-content/uploads/2019/05/e9c9693375a3f70d2175e6e38001827f.png)
昔の日本人の生活。
その生活、文化の象徴である古墳。
7月8日(月)の
朝活ネットワーク名古屋が楽しみです。
藤井さんを紹介してくださった西尾さん。
ありがとうございます。
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