本日は市岡 めぐみさんが主催している読書会に参加しました。
市岡さんは5年くらい前に朝活ネットワーク名古屋でヨガの話をしてもらった方です。
この読書会も7年くらいしているそうです。
参加者がおススメの本を持ち寄るこの読書会
僕は久々に大好きな本。
司馬遼太郎が書いた「峠」を読み返して参加しました。
「峠」は幕末。
越後長岡藩に生まれ、長岡藩の家老となり
幕末の戊辰戦争の中で最も激しかったといわれる
「北越戦争」を起こして、戦死した河井継之助を描いた
小説です。
越後長岡藩は7万石を少し越えるくらいの小さな藩。
ここに河井継之助が生まれてしまったために
悲劇が起きてしまった。
早くから幕末の動乱を予測し、徳川幕府はもたないだろう。
滅びるであろう。武士の世の中は終わるであろう。と予見していた
河井継之助。
でも彼は長岡を背負って生きていくことを決意し、
長岡藩士として生きた。
家老になることができる家柄ではなかったけれど
自らが予言したように
門閥出身の人材では「幕末の動乱の世」は判断できず
取り立てられ、家老となり、長岡藩を動かしてゆく。
河井は長岡藩をこれからどう運営していくかを
ずっと考えてきた。
そのために江戸に学びに行き、備中松山藩(岡山県高梁市)の財政を立て直した
山田方谷のところに勉強しにいっていた。
越後長岡藩の実権を握ってからは、藩をまとめて、
どんどん藩を立て直し、豊かにしていく。
借金まみれの長岡藩の財政を立て直し、フランス式の軍隊に変革し
軍備を増強し、当時、東洋に三台しかない機関銃まで手に入れる。
越後長岡藩は豊かで強い藩に変わった。
長岡藩は河井の芸術作品だった。
強い藩を作ったのは、中立を守るため
幕府にも新政府軍にもつかない
中立を守ろうとした。
日本のスイスであろうとした。
でも時勢はそれを許さない。
いくら豊かな強い藩になったといえども
所詮は7万石そこそこの小さな藩だ。
受け入れられず、新政府軍の理解を得られず、
避けたかった「戦争」に突入してしまう。
河井は戦うことで「美」に昇華してしまった。
華々しく散るでないけど、
自分の筋を通して、理解されなかった。
あとは戦い、美しく散る。
門閥出身の家老ならば
時勢に流されるように、長岡藩は新政府軍について
新政府軍と一緒になって会津藩を攻めただろう。
他の多くの藩はそのようにした。
時勢に流されればそう判断しただろう。
でも河井継之助はそれができなかった。
自らが立て直し、強くした長岡藩。
新政府軍にただ従うだけということができなかった。
それだけのことをやってきた。
でも長岡藩は河井継之助には小さかったのだ。
でも彼は長岡藩をどうするか?
どうしていくか?
ということを常に考え、そこに心血を注いできた。
だからただ従う。
ということができなかった。
その悲劇。
結果、自分が心血を注いだ
越後長岡藩は新政府軍を散々、苦しめたけど
一度、落城した長岡城を奪還に成功したけど
時勢を味方につけてどんどん押し寄せてくる新政府軍のチカラには及ばず
戦死する。
長岡藩をどうするか?
この時代、どうしていくか?
強くなり中立を守る。という理想を抱き
理解されず、破れてしまう。
愛した長岡は焼け野原。
河井は死後も恨まれ
河井の墓を傷つける人がいたといいます。
本当に生き抜くことだけ考えれば
良かったけど
理想を追求しすぎて、チカラがあったことが逆に災いして
激しい戦争を起こしてしまう。
長岡藩士として生き、死んだ。
河井継之助。
その生き方は不器用だけど、美しい。
そんなことを思い返した。
本日の読書会では
皆さん。思い思いの本を持ち寄り
語っていた。
好きな本には共感するそれぞれの世界観がある。
自分な好きな世界がある。
それは僕のなじみのない世界で
新鮮な世界だ。
今日も新鮮な世界観に触れて、新しい気付きを得ることができました。
主体的に生きること。
歴史の面白い話。
何ために学ぶのか?
理想の女性の話。
科学者の世界観。
お金とどうつきあうか?
神社にどのようにお参りをするか?
僕は良く生きることを目指している。
ただ生きるのではなく、
良く生きる。
毎日、これで良かったか?
考えながら
日々、積み重ねて、自分の思いを追求していきたい。
学び多き読書会を主催していただいた市岡さん。
たくさんのことを気づかせてくれた参加者の皆さん。
ありがとうございました。
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