平安時代の貴族・庶民の暮らし~来年の大河ドラマ・紫式部を描いた「光る君」の生きた時代とは!?~

2023年9月25日(月)7時~
第510回朝活ネットワーク名古屋を開催しました。
【テーマ】平安時代の庶民や貴族の生活・文化・日常について
~来年の大河ドラマ・紫式部を描いた「光る君」の生きた時代とは!?~
【進行役】西野 慎祐

来年の大河ドラマは平安時代の生きた紫式部を描いた
「光る君」。
多くの方は平安時代という言葉を知ってはいます。
が、どのような時代だったのかは意外と知らない方が多い。
実際、今の文化や生活習慣とは大きく、かけ離れている時代
でした。
そこで、歴史に詳しい西野さんにどんな文化や日常だったかをお伝えし、
大河ドラマがより楽しめるように時代背景も含めて、
平安時代の庶民や貴族の生活、紫式部についてお話いただきました。

平安時代とは
794年から400年ほど続く時代。
人口は約600万人。

庶民は竪穴住居に住んでいました。
農業も現代ほど発展していないし
年貢の負担も厳しく
庶民の生活は苦しいものでした。


反面
貴族の生活は豊かで住居も広く立派だった。

5000人の貴族が600万人の庶民を支配していた。

庶民も貴族も自由恋愛で
一夫一妻多妻制
一夫多妻制
のどちらかであったと言われています。

平安時代は
子供が生まれたら
女性に男親の指名権があった。

通い婚の時代であった平安時代。

貴族は気に入った女性ができたら
まず手紙を送る。
そういった意味では文章力は重要であった。

女性も男に通ってもらわなければ
お金が入ってこないので
男性に通ってもえれば
お金が入ってきて家が栄える時代でした。

平安時代
栄華を誇った藤原家
その中でも絶頂期であった藤原道長。

紫式部の書いた源氏物語は
光源氏の出世や恋愛模様が描かれている。
光源氏は藤原道長のこと。

平安時代にはさまざまな記録が残されており
小右記(しょうゆうき)という貴族の日記も残っている。
その記録を読むと
藤原道長は仕事はできるが
横暴な部分も混在していたとのこと。

天皇家と姻戚関係を結び
摂政・関白として権勢を誇った藤原家。

娯楽がかなり少なかった時代。

貴族も庶民も恋愛は一番の娯楽であった。

今の目線で
平安時代を見ると
着るものも、寝具も、家もまだまだ粗末で
人口も少なく貧しかった時代。

でもある意味
人が人らしく生きていた時代であるかもしれません。


そして、
男女とも教養に文章力や配色等のセンスが大切な時代でした。

西野さん。
本日は私たちがあまり知らない
平安時代について語っていただき、ありがとうございます。

これで来年の大河ドラマもより楽しめそうです。

西野さんは
11月12日(日)14時開演(13時30分開場)
第12回 桂文枝独演会
ウインクアあいち 小ホール 前売り3000円 当日3500円 を
主催されます。

ぜひ興味のある方はご参加ください。
長くこのような落語会を名古屋で定期開催している
西野さんの継続力を尊敬します。

https://eplus.jp/sf/detail/3940550001

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