2019年8月26日(月)
第317回朝活ネットワーク名古屋を開催しました。
テーマ:落城回数の多い城と、それにかかわる人間ドラマ
進行役: 西野 慎祐 さん
戦国時代は群雄割拠。
室町幕府が力を失い、
地方の領主は中央に物資をお金を治める必要性がなくなった。
時は戦国。
今回は二人の武将の人生を紐解きながら、戦国の世を西野さんにお話しいただきました。
西野さんには毎年、朝活ネットワーク名古屋でお話しいただいていて
電気自動車
お城
喫茶店
名古屋の歴史
について
今までお話しいただいていましたが
今回は「落城」をテーマに二人の武将の人生についてお話しいただきました。
一人目の武将。
齋藤竜興。
齋藤道三の孫。
父・斎藤 義龍 が死んだため、14歳で家督を継ぐ
ただ14歳で若くして、急にちやほやされたため
酒と女におぼれ、毎日宴会に励む。
家臣は離反し、呆れられ、19歳で
自分の住処であった、
「岐阜城」は落城。
ただこのあと斎藤竜興は
打倒「織田信長」に燃え、朝倉氏を頼りながら、
織田信長にゲリラ戦を挑み、対抗する。
日本にキリスト教を広めたルイス・フロイスは齋藤竜興と会った時の印象を
「実に聡明」と記している。
キリスト教の宗儀・世界の創造などについて説かれると聴聞した事を逐一書き留め、次に教会へ姿を現した際にはその全てを明白に、流暢に、一言一句の間違いなく反復することが出来たといい、教会の信者達はとても驚いたそうです。
26歳で織田信長との戦いで戦死する。
14歳という若すぎる年齢で家督を継いで、酒と溺れて、領主として敗れて、
大名でなくなって、朝倉氏を頼る一人の武将として26歳まで「信長憎し」で生きてきた齋藤竜興。
19歳で追い出されてから、生まれ変わったところが面白い。
気づいたときには時すでに遅し、
優れた大名となることができる能力と織田信長を上回る素養を持ちながら
父、義龍が若くして亡くなったために、若すぎて家督を継いだために
齋藤氏は大名でなくなった。
その人生が面白い。
いくら優秀な人物でも
若すぎて、急なことで、まわりの環境もあっただろうが
酒と女にわかりやすく溺れてしまい、ほろびてしまう。
その後、反省して、立派な武将になったが、その時はすでに大名ではない。
ただ非常に才能がありの能力があった人物であった。
大名としてではなく、領主を追われてから
立派になったところが面白い。
これも人生。
一つの人生。
二人目の武将。
知る人ぞ知る武将。
小田氏治。
居城の小田城は
平城で誠に攻めやすく、守りにくい城。
先祖伝来の城に固執し、9度の落城する。
落城しては奪い返すの繰り返し。
ただこの小田氏治は人望があり、領民から慕われ、家臣も離反せず、ついてきたので、何度も城を奪還することができた。
そもそも人望がなければ、兵を集めることができないが
氏治は兵を集めることができた。
それは慕われていた証拠。
領地をこまめに回り、領民や家臣とのコミュニケーションはしっかりとれていた。
世の中が平和な時代ならよかったが
時は戦国。
結局、時代が読めず、大局が読めず、
豊臣秀吉の小田原征伐に際し、
「小田原攻めの秀吉軍に参陣せず、豊臣方の佐竹氏に反旗を翻し、小田城奪還の兵を起こした」ことを理由に所領を全て没収され、大名としての小田氏は滅亡。秀吉の直臣となることを願うが、叶わず、秀吉にその罪を謝され、300石の武士となる。
戦には弱かったが、人望があり、なんだか憎めないキャラクターである小田氏治。
でも時は戦国。
時代を読み、どう生きていくか?
どう家を存続させるか?
そういう点では能力に欠けていた。
でも9回も落城し、その都度、死なず、
生きながらえた。
その理由は「逃げ足」にある。
死ぬ前に逃げたのだ。
逃げ足の速さが生き永らえた秘訣。
事業継承。
その難しさ。
戦国の世はそれがわかりやすく
表れる。
今の私たちには
過去の歴史はきちんと分析できるが
その時生きた本人、その家族、その家臣はたまったものではない。
殿様がアホだったら
滅びてしまうのだから。
だからこそ事業継承の難しさ。
次に備える。
その大切さを感じました。
西野さん。
二人の武将を題材に
戦国の世の悲哀について
お話しくださりありがとうございます。
西野さんは
お城。
特に山城について詳しいので
山城案内ツアーを良く開催されています。
また山城ツアーを近日開催されますので
日程が決まりましたら
ご連絡いたします。
西野さんのブログです。
https://ameblo.jp/tumamigui24/
小田氏治に関する本。
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