1月17日。
毎年やってくる。
もう25年もたつのか?
25年前。
朝。
目が覚めたとき、僕はガレキの中にいた。
何がおこったのか?
全くわからなかった。
「バキッバキッメリッメリッバキッ 」
スゴイ音が聞こえた。
目が覚めたときはガレキの中。
揺れは感じていた。
でも起きなかった。
中国の寝台列車に乗っている夢を見ていた。
だから目が覚めたとき、てっきり脱線したと思った。
地震の1週間ほど前に1か月の中国旅行から帰ってきた。
中国では36時間の長距離列車に乗ったこともあり
夢で僕は中国の寝台列車に乗っていたのだ。
目が覚めると、壁が体の上に、のしかかっていたが外へ出れた。
ケガはしていなかった。
ただとても寒かった。
僕の住んでいた2階建てのアパートは見事に平屋になっていた。
2階が1階を押しつぶし、平屋になっていた。
自力で脱出できず、閉じ込められたアパートの先輩が二人いた。
「助けてくれッー!」と叫んでいた。
それは必死の叫びだった。
周りの家の人、アパートの住人で助け出して病院へ運んだ。
一人の先輩はそれほど大したケガではなかった、
もう一人の先輩は2週間後、亡くなった。
叫び声があがらず、安否の分からない部屋が二つあった。
一人はいなかった。
彼女の家に泊まつてアパートにいなかった。
もう一人は、救急隊が到着して、部屋から出したが、
すでに亡くなっていた。
完全にカラダの色が変わっていた。
前日、彼と会っていた。
ジョギングから帰ってきた彼。
彼は同級生だった。
元気だった。
ホノルルマラソンに出るために彼はジョギングをしていた。
「ホノルルマラソンに出るから鍛えてんねん。」と言っていた。
いつもとかわらない普通の夜。
それから僕は友達の家に行き、酒をたっぷり飲んで
夜中の3時に帰ってきた。
そして5時46分にあの地震。
彼には申し訳ないと思う。
もしかしたら僕が死んでいたかもしれない。
僕がこのアパート選んだとき
一つしか部屋は空いていなかった。
残りの最後の部屋だった。
選択の余地はなかった。
共同トイレの横の部屋だったから
最後まで入居者が決まっていなかった部屋だった。
1月17日を思い出すと
とても苦しい。
地震のあと、奈良の実家に帰るのがなにか申し訳なくて
新学期が始まるまで
ひたすら災害復旧のアルバイトをした。
ぐちゃぐちゃになっていた酒造会社の倉庫の片づけをした。
何かをしなければ、心の平穏が保てなかった。
ぐちゃぐちゃになった西宮のために
ただ何かがしたかった。
二人のことを思うと今でも
なんかとても申し訳ない気持ちになる。
人生には
まさか
ということが現実に起こる。
そのことを知った。
人生は一瞬一瞬の積み重ねだと思う。
だから今の一瞬一瞬を大切にしたい。
いつも1月17日が来るたびに
心に重く、ズッーンとのしかかってくる思いがある。
二人のことを思うと
ズッーン とくる。
1月17日。
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