20歳の時の体験~阪神淡路大震災編2~

アパートの下から聞こえてくる「助けてくれ~!」の声。

二人の先輩が叫んでいました。

2階建ての木造アパートは1階が潰れ、2階が1階を押しつぶしてしまいました。

僕は南側に部屋にいて助かったのですが、2階が北側に少しずれて、1階を押しつぶしたので

僕を含めたアパートの南側の部屋の住人は全員無事でした。

「助けてくれー!」と叫んでいたのは

逃げようとアパートの廊下に出て、押しつぶされた4回生の先輩。

あともう一人は北側の部屋にいた三回生の先輩でした。

4回生の先輩は下半身が挟まれてしまって、かなり痛そうでした。

「痛い!痛い!」と叫んでいました。

なんとか引き出して病院に運びました。

3回生の先輩もなんとか引き出したのですが

「死ぬ!やばい!助けてくれ!」と叫んでいた割には

左足が挟まれていただけで、それも折れてなくて、大丈夫でした。

北側の部屋は5部屋あり、二人は自力で這い出し、一人は引き出したので

あと2部屋の住人の安否がわかりませんでした。

叫び声もしないし、「いないのかな~」と思っていました。

そこで到着した消防隊の方がチェーンソーなどを使って、その2部屋に入っていきました。

1つの部屋には誰もいませんでした。

後でわかったことですが、

ここの部屋の3回生の先輩は彼女の部屋に泊まりに行っていませんでした。

最後の部屋、ここには僕と同じ学年の20歳の友達が住んでいました。

そこから運び出されたのは

「完全に体の色が変わってしまった友達」でした。

死んでいました。

「まじで?」

「なんで?」

現実を受け入れるのがきつくて、悔しくて、怒りがこみ上げてきました。

「なんでやねん!」

そう思いました。

涙が止まりませんでした。

昨日、僕は彼と会っていました。

僕が友達の家に飲みに行く前に、アパートの玄関で会いました。

ジョギングから帰ってきた彼。

「今度マラソンの大会でるから鍛えてるんだ!」と嬉しそうに語っていました。

そんな彼がこんなことになるなんて・・・

それから僕はあまりにショックで、正気を失ってしまいました。

怒りが僕を支配していました。

それから一か月間は西宮で避難生活を送りました。

僕が通っていた関西学院大学の学生会館が避難所として解放されたので

次のアパートが決まるまで、関学で寝泊まりしました。

西宮の酒造メーカーの倉庫で災害復旧のアルバイトをしました。

アパートの他の学生は実家に帰りましたが、僕はとても帰る気になれず、

住んでいた西宮のために何かがしたくて、ひたすら災害復旧のバイトをしていました。

人生何があるかわからない。

この世は無常だ。

アパートの中で一番いい奴だった友達。

今でも彼のことを思い出すとやるせない気持ちになります。

2週間後、病院に運んだ4回生の先輩も亡くなりました。

就職先も第一志望の会社に決まり、「卒業したらめちゃめちゃ働くねん!」と語っていた先輩だったので

ますます僕は現実を受け入れることがキツクて

やるせない気持ちになりました。

この時も涙が止まりませんでした。

僕は普段は泣いたりしないので、大泣きしたのはこの阪神淡路大震災の時だけです。

今でもこのやるせない思いは消えず、当時のことを思い出すと苦しい気持ちになります。

でもあの時運よく助かったのだから、生きることに感謝して

「今」を感じて精一杯生きよう!

と思っています。

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