株を買って、一週間ほどで
100万円で買った株が160万円まで値上がりしました。
そこで「売ってしまおう!」と決断し、
手数料などを引いて58万円ほど利益ができました。
父には100万円を返しました。
「俺がお金を貸さなければこの58万円の利益はなかった。
今、俺は借金があるから早く返したい。30万円はお前に渡す。28万円は俺がほしい。」
ということで、30万円をもらいました。
それから、自分でその30万円で株式投資を始めました。
儲かったり儲からなかったりでしたが、大学を卒業するころには60万円くらいに増えました。
「株って面白いなあ~」と思い、
将来はディーラーになりたい!と思い、証券会社に就職したい!と思い、
就職活動は証券会社を5社受けました。
「株が好きだから証券会社に就職したい!」と正直に伝えました。
ただ株が好きだから証券会社に就職したい学生は珍しかったと思います。
野村証券・大和証券・日興証券・山一証券の四大証券はすべて落ちてしまいました。
新卒で入社するということは「フレッシュさ」を企業は重視していると思います。
これから仕事を覚えていく人を求めているのだから変に色がついている人は採用したいとは思わないのではないでしょうか?
そこを僕は正直に言いすぎたのかもしれません。
四大証券のほかに、もう一社受験していた準大手証券会社の岡三証券だけ内定を頂きました。
就職活動は他に銀行・商社を数社受けましたがすべて落ちたので、
岡三証券に就職することにしました。
僕の大学を卒業した1997年は就職は「氷河期」でかなり厳しい就職活動でした。
でも僕は会社を合計で10社しか応募せず、かなり安易に流されるように就職先を決めました。
周りの友達はもっと真剣に就職活動していたし、僕みたいな学生は珍しかったと思います。
面接がかなりつらくて、苦痛でした。
エントリーシートを書くのもしんどかったし
就職試験に行くのも辛かったです。
正直早く決めたかった。
就職活動そのものが苦痛で、必死になれませんでした。
一流企業に入りたいというよりは内定いただいた「そこそこの会社」入れれば良い。
この会社で一生勤める。という思いがまずなく、
どうせなら激動のこれから何があるかわからない業界で働きたい。
そこでモノを見てたい!という想いが強かったです。
当時は
「金融ビックバン」と言われていて
金融業界が激変することが予想され、その激変の渦に入ってみたいという好奇心が強かったです。
阪神淡路大震災をきっかけに岡三証券へ就職することになりました。
コメント